木工所のビオトープ
自宅のある寝屋川市は電車で大阪市内まで30分程度の通勤圏内で、大阪の衛星都市、ベッドタウンです。
小学校に入る前の50数年前のうっすらとした記憶では、周りは田んぼばかりで夜の駅からの帰り道は真っ暗で、とても怖かった事を覚えています。それが小学校に入る頃から、周りの田んぼが宅地開発されて家が立ち並んでいきました。おかげで小学校は在学中に2回分校され、いつも校庭にはプレハブ教室が建っていました。
寝屋川市の昭和34年(1959)とその13年後 昭和47年(1972)の寝屋川市の地図です。
昭和34年は対馬江大利線の道路沿いには少し家が立ち並んでいるだけで、それ以外は昔からの集落と田んぼが広がっています。しかしその13年後の昭和47年(1972)には、田んぼであったところが住宅(文化住宅)に激変していることが分かるかと思います。
物心がついた頃は、自宅から建物に遮られることなく夕陽が見えました。田んぼでザリガニやカエルを取る、住宅地の公園で遊ぶ、農村と住宅地が混在した風景、それが私の原風景です。
農村から市街地に大きく変わってしまった場所で、昔見ていた自然を求めている。そんな私が実践しているビオトープに関する取組を紹介します。